新しい教科「情報」                          home

高等学校における情報あるいは計算機の教育には両極端がある。 一つは北米型のスキル教育、もう一つは日本型の知識とリテラシー教育である。 これらは共通点を持たない。特に日本の教科「情報」は高校教育で教える内容とは思えない。私が現役時代に働いていた大学(情報科学科)では、教える内容は教科「情報」と無縁であり、間違った雑学に染まらない白紙の入学生を歓迎していた。

北米のそれは、Java,  C++, HTML などを使ったプログラミングの実践教育であり、頻繁にプログラム・コンテストが催されている。大学は、スカウト・チームを全国に巡回させ、論理性と創造性を持った高校生を探す。 しかし、高校生をもつ北米の母親から、「娘が Home page design を勉強したけど、すぐに忘れてしまって、なんの役にも立たない! 是非、日本の様子を知りたい」というヒステリックな内容のメールをいただいた。

日本のそれは、日常的な I T の知識と計算機リテラシー。センター入試の科目でもなく、大学が教科「情報」の履修を重視することもない。教科書はディジタル生徒には常識的、アナログ生徒には無縁、大多数の中間層向けの「知っておいて得する」ための読み物。 演習はといえば、「やっておいて得する」だけの、マイクロソフト社のWORD, EXCEL, Power Point のリテラシー教育、又は、視覚的・聴覚的ディジタル教材による他の科目(数学、英語、物理、化学、生物、地理、歴史など)の e-learning。 加えて、「情報モラル」を教えるべきとの声が大きくなっている。「モラル」は、なにも「情報」だけに限らない。理科教育全般に渡って、人類の生命・英知・欲望に関わるモラルの問題が存在し、横断的な課題である。これは、社会科目で整理すべきことだと思う。

かくして、高校生は 『情報にはサイエンスがない』 ことを悟る

不思議 !

なぜ、高等学校の情報教育は両極端(スキルとリテラシー)しか存在しないの?

なぜ不思議か !

いま君はプログラムを作っている。じゃー、その言語に限界は無いの
いま君はインターネットしている。じゃー、どれだけの情報を受けているの

『論理的思考を記号で表せないか?』
『情報の量を測れないか?』
これらは、2000年以上にわたって、人類が抱いた素朴な疑問でした。
そして、20世紀初頭から、多くの若い才能がこれらの疑問に集中し、
I T 革命が始まったのです。

何を教えるべきか?

物理学は自然現象の解明を目指し、
情報科学は情報の構造・計量の解明を目指しています。
ともに、永遠かつ普遍的なテーマです。

そこに内在する「原理の教育」が日本を支える若者を逞しくしていく。

一案ですが・・・
現状の教科「情報」のA,B,Cを再編成し、
例えば、Cを情報の構造と計量の理論に当てる。
これを、アメリカなどで実施されている上級コース(Advanced Placement)とし、
大学の教員が高校へ出向いて教える。

 

<情報科学の誕生>

    近代情報科学の基点はブールにあると思います。彼は、思考の論理構造を体系化し、それに確率的推定の要素も加えました。高校の教科「物理」でニュートン力学や熱力学や電磁気学を教えるように、ほぼ同じ時代のブールの論理代数からスタートして、チューリング・マシンやシャノンの情報理論(情報の計量)への入門を教えるべきです。
    たとえば、数個の単純な機械操作を言葉で書いてみよう。その言葉だけでプログラムを作ったら、機械は何ができて、何ができないか?ということが計算機の基本です。また、高校物理の熱力学で習うエントロピーは情報源が発する情報の平均量と同じ概念です。我々の身の回りの I T機器はこの尺度で設計されています。
    「情報科学」は実にシンプルで美しい体系をもっています。それらの原理をゲーム感覚で体験できる実験教材などは、 I T 機器でいくらでも創作できると思われます。

    情報科学小史(情報科学はどのようにして生まれたか? を参照してください。

     

<日本の教科「情報」>

 

<各国の教科「情報」>