情報科学小史 go to home
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★紀元前4世紀のギリシャ、エジプトの幾何学以来、”数”は謎めいた存在であり続けました。 Pythagoras (B.C 565?〜B.C 475?)の定理は無理数を示していますが、知るべからずの魔の数とされていたようです。 高等学校で習う無理数を理解するために、2000年以上の歳月が必要でした。 また、任意の角を目盛のない定規とコンパスだけで3等分できるかという問題にも19世紀まで回答できませんでした。 Aristotle (B.C 384-B.C 322) が物理現象や気象や健康や、ありとあらゆることを考えるにはロジックが必要と考え、著書 "Prior Analytics" にロジックをシンボルで表現しています。 これが19世紀になってやっと、 Booleによって体系化されました。 ★時代をずーっと進めて、地動説が明示されたルネッサンス時代(1400〜1600)の終わりから現在まで、その歴史を見てみましょう。なお、このページの下部にある「底流」をクリックすると、主な人物を1ページに図式化した表が見れます。 ★16世紀中期、イタリアの医師であったギャンブル狂 Cardano は3次式と4次式の根の公式に関する本を書き、その中で虚数と無理数の存在に気づいています。 またギャンブルに勝つための確率の概念を最初に示しました。 16世紀末、スコットランドのNepier は20年もかかって精密な対数表を作り上げました(対数関数とは?)。 天文学がこの対数表にどれだけ恩恵をこうむったか計り知れません。 ★17世紀、近代科学への扉は、Galilei の獄死をもって開かれました。 そして、天体の不思議、運動の不思議、熱の不思議、生命の不思議、知の不思議への挑戦が始まりました。 Des Cartes, Fermat, Pascal が登場し、Newton と Leibniz が続き、美しく華やかな近代科学のプロローグでした。 物理学も数学も哲学も文学も、一つの屋根の下で暮らしていました。 実は、このような同居暮らしは、19世紀後半まで続いていたのです。 確率は相変わらずゲームが対象でしたが、Fermat と Pascal の往復書簡で組み合わせをカウントするアイデアが生まれました。 ★18世紀は、Bernoulli, Euler, Bayes で幕が開き、数学はもっぱら物理現象の記述に終始していたように思われます。 物理学は熱と電気の分野を拓きました。 数学の特筆すべき出来事は、それまで賭け事の対象でしか扱われなかった確率や推計に論理的な焦点が当てられたことでした。 Bayes の確率法則の提起、 Laplace の確率の哲学的試論は後世に大きな影響を与えるものでした。 ★19世紀の幕開けは実にドラマチックでした。 主人公は、無線通信の Morse、計算機の Babbage、思考の法則を論理的に体系化したBoole、 進化論の Dawin、そして、Abel と Galois の夭折天才数学者です。 世紀後半は、激動の20世紀への抱卵期でした。 生物学では、Mendel の遺伝法則や Sutton の染色体説が20世紀の遺伝子科学へ引き継がれました。 物理学では、熱力学、統計力学、電磁気学、そして、量子仮説が量子力学と相対性理論に引き継がれました。 数学では、それまでの代数的解析学が Riemann によって一挙に抽象化され、Cantor の集合論と Poincare の位相幾何学から始まる苦闘の歴史が20世紀へ持ち越されようとしていました。 ★さて今度は、20世紀前半の情報科学の黎明期から過去へ、歴史を遡ってみましょう。 ★20世紀前半は、計算の論理モデルと情報の計量モデルに対して多くの才能が凝縮された時代でした。 その内容は、「論理や計算とはなにか?」、「情報は測れるか?」といった本質的な追求でした。 ★計算の論理モデルに至る歴史は、基礎数学の意義を問われるほどの死闘でした。 計算機は単純作業を高速で行う機械です。 計算機の基本モデルであるチューリング・マシン(1937年)は、予めシンボル列が記録されている磁気テープ上に移動可能なヘッドを置き、「読み込み」、「上書き」 「消去」、「右または左へ移動」、「停止」などの基本命令で書かれた有限長の文章を実行します。 ただし、「読み込み」の結果に応じてジャンプを許します。 これによって、どんな計算が可能か?、あるいは、不可能か?という疑問が生じます。 Turing
は Godel の不完全性定理(1931年)の機械版を追求したわけです。 不完全性定理は、19世紀末からHilbert
によって進められた「数学そのものを言明(言葉)によって体系化しようという」壮大な計画から生まれました。チェコで生まれた若きGodelは、雲の上のHilbertにあこがれ、その計画に挑戦しました。そして、そのテーマが徒労に終わること(有限個の自明な命題(公理)から得られるべき正しい言明(定理)の中には、その公理系で証明できないものが無限にあること)を証明してしまったのでした。 たとえば、Goldbach の予想(2より大きいすべての偶数は二つの素数の和で表される)や双子素数の予想(差が2である二つの素数の組は無限にある)は、直感的にほとんど真であるにもかかわらず、未だ明白な公理のセットだけから証明できていません。 その後、
Neumann はチューリング・マシンをプログラム内蔵モデルへと進化させました。 Godel
と Turing の登場を可能にしたのは、偉大な天敵三人衆
Hilbert,
Russel, Brouwer、そして、火種となった Cantor と Poincare、さらに遡れば、論理代数の父
Boole、そして Leipniz にいたります。 ★情報の計量に至る歴史、すなわち、ブロードバンド通信や画像処理やインターネットに至る歴史には、情報の大きさを測る尺度が不可欠です。 情報圧縮や高速通信や暗号理論は
Shannon の仕事(1940年頃)の上に立っています。 Shannon は、例えば英文の1ページに含まれる実質の平均情報量を測りました。 そして、この情報量をビット(B
I T)と命名しました。 高等学校で教わっているビットはまったく誤った用法です。 Shannon
は、この平均情報量(エントロピー)が今日の具体的な圧縮努力(MPEG
,JPEC, etc)の限界(これ以上圧縮すると正確に元に戻らないという限界)であることを示しました。 さらに、絶対に誤りのない通信が通信速度を少し落とすだけで実現できることを証明しました。 これを具体化する技術(誤り訂正符号)は、ほとんどの情報機器に内蔵され、今もなお Shannon が示した理論限界に近づく研究が行われています。 こういったことは、遠いアナログの時代に理論的に(天下り的に)体系化されたのです。 Shannon
から遡れば、直接的に Kolmogrov, Markov
の確率過程論、そして、現在もなお、「推し量る」という意味を決めかねている確率統計の苦闘の歴史、Fisher,
Pearson, Poisson, Laplace, Bayes, Bernoulli,
Pascal にいたります。 公理系の限界が見えたとき、数学は大転換を迫られました。 ★今、我々は21世紀初頭に立っています。 ハードウェアの超高速化と超大容量化が急速に進み、計算機とネットワークの上に次の革命の誕生を迎えようとしているのでしょうか? 任意の角を3等分するために与えられた定規とコンパスに代る
======================= 人物年表 ======================= 茶色は物理学、オレンジ色は哲学・数学、緑色は生物学、青色は情報科学で示しました。 なお、情報関連の人物の多くは未だ生存中で、出生年が分からないものが多く、とりあえず私と同じ年齢とし、白色で示しました。 分類は便宜的かつ独断的なもので、実体は渾然として、そのことが実は科学の本質ではないかと思われます。 たとえば、 Bernoulli 家と Euler 家はほとんど密着していましたが、物理と数学に色分けしました。 過去において、物理学、哲学、数学が渾然としていたように、現代は情報科学の理論的基盤と数学は渾然とし、その応用範囲は限りなく広がっています。 人物年表 ( Nepier, Galilei, Kepler 以降) PDF [24kB]
======================= 情報科学誕生への底流 ======================= 人物年表をもとに、20世紀前半までのマップを作ってみました。ジーッと眺めていたら、数理解析の良き時代、確率と論理の良き時代、Turing と Shannon に至る大きな二つの底流、知能の解明に至る底流が見えてきました。
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